グリーグ

Edvard Grieg【1843年6月15日-1907年9月4日】

Griegグリーグは1843年、ノルウェーのベルゲンで生まれた。

彼の父は商社を経営し、母はピアニストであった。そして彼は、幼い時から母にピアノの手ほどきを受けた。

1858年にはライプツィヒ音楽院に留学し、ロマン派音楽を学んだ。このことが後の作曲活動に大きな影響を及ぼした。

1862年に帰国した後、彼は故郷ベルゲンで作曲家およびピアニストとしてデビューした。5年後にはソプラノ歌手であったニーナ・ハーゲルップと結婚し、仲むつまじく暮らした。グリーグは妻のために、数多くの歌曲を作曲した。

そして1876年「ペール・ギュント」によって、彼の名声は世界に広まった。

1885年からは故郷ベルゲンの郊外にトロルハウゲン荘という別荘を立て、そこで過ごす時間が多くなった。現在トロルハウゲンには、彼とその妻が眠っている。

□エドヴァルド・グリーグ 略歴

1843年 ノルウェーで生まれる
1858年 ライプツィヒ音楽院に留学
1862年 故郷でデビュー
1867年 ニーナ・ハーゲルップと結婚
1876年 「ペール・ギュント」初演
1885年 トロルハウゲン荘建設
1907年 死去

□グリーグのピアノ作品

ピアノ協奏曲 (Piano concerto)【1868~1907年作曲】

この作品は1868年、彼が25歳の時に作曲された。

メンデルスゾーンが創立したことでも有名なドイツのライプツィヒ音楽院で学んだ後、故郷のノルウェーに帰ってきて初めての大作であった。

グリーグがローマのリストにこの作品を見せた時、リストはこの作品を初見で弾いてその北欧的色彩を絶賛したという逸話が残っている。

また、この作品は何度も書き直されている。これは出版社の新しい協奏曲の要求に対し、書くことが出来ず、その分を改訂したのだと言われている。

フィヨルドの滝を表現した第1楽章の冒頭など心に残る旋律でピアノ協奏曲の中でも人気の高いものとなっており、グリーグの作品の中でも最も有名なものの一つである。

第1楽章の始まりだけならテレビなどでよく使われるため御存じの方も多いのではないだろうか?