モーツァルト

Wolfgang Amadeus Mozart【1756年1月27日-1791年12月5日】

Mozartモーツァルトは音楽史の中で3本の指に入るほど有名な作曲家である。

また、近年では彼の音楽がアルファー波を生むなど、化学の分野にまで彼の存在は影響を及ぼしている。

モーツァルトについてはこれまで映画やマンガ、書籍で多くの作品が作られた。その理由の1つに、彼の原因不明の死がある。

例えば、ショパンシューベルトなどは若くして死んだことで有名であるが、実はモーツァルトも35歳という若さで死んでいる。

モーツァルトの死因は、映画「アマデウス」に描かれたように、嫉妬に狂ったサリエリによって殺されたと考える説など、現在もなお論議されている。

また、モーツァルトが注目されるもう1つの理由に、彼の天部の才能が挙げられる。その才能は音楽に関するものはもちろん、彼の明るく、冗談好きな性格が人をひきつけるのだろう。

実際には、モーツァルトの時代、音楽家の地位は低く、低収入を得ることも出来なかった。さらに、彼は神童として7歳の時から演奏旅行をし、人生の4分の1以上を旅行していた。そのため、定住することもままならなかった。そんな悲劇的な人生であるにもかかわらず、彼の性格は、人生を実り豊かなものにしたのである。

モーツァルトの偉大さは、彼の作曲家からの敬意を見ればよく理解できる。ハイドンはモーツァルトが死んだ際、「あのような才能はこれから100年は出てこないだろう」と嘆いたし、ベートーヴェンは長い間、モーツァルトを自分が知る限り最も偉大な音楽家だと考えていた。さらに、ロマン派の音楽家たちはこぞってモーツァルトの曲を勉強したと言われている。

□ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 略歴

1756年 オーストリア、ザルツブルクで生まれる
1760年 父からクラヴィーアの手ほどきを受ける
1761年 初めての作曲
1762年 ヨーロッパ中を旅行(1767年まで)
1768年 ウィーンへと移住
1776年 ザルツブルクの宮廷音楽家となる
1782年 コンスタンツェ・ウェーバーと結婚
1787年 父死去
1791年 ウィーンにて死去

□モーツァルトのピアノ作品

ピアノソナタ(PianoSonata)【1775~89年作曲】

4番 K.282

このピアノソナタは1774年、モーツァルトが18歳の時に書かれた作品で若き日の傑作である。

この作品を含め6曲がミュンヘンのデュルニッツ男爵のために作曲された。

最初こそバロック風だが、その後はモーツァルトらしい軽妙で明るい曲調である。

5番 K.283

ピアノソナタ第4番同様1774年にデュルニッツ男爵のために作曲された。

この曲の最も美しいのは第2楽章で流れるような旋律である。これも若きモーツァルトの感性と彼の全作品に通じる軽快さが交じり合っていて気持ちの良い作品である。

10番 K.330

これは1783年ウィーンで書かれたもので、明るく軽快なソナタ。聴いていて楽しくなる可愛い曲である。

当時ウィーンで作曲家兼ピアノ教師として生計を立てていたモーツァルトの人気が伺える作品と言えよう。

11番「トルコ行進曲付き」 K.331

このソナタも10番同様1783年、ウィーンで書かれた作品。

当時、オスマン=トルコはオーストリアを中心としたヨーロッパ世界にとって、脅威だっただけでなく、同時に好奇の対象でもあった。この作品のトルコ行進曲もそんな当時の人々の流行に合わせたモーツァルトのサービス精神の表れだろう。

ところで、トルコ行進曲も良いが、僕は第1楽章の変奏曲も推したい。主題が可愛らしく変奏も楽しい傑作である。

12番 K.332

このソナタは長い間、いつの作品であるか分からず、諸説あったのだが、現在は10番、11番同様1783年ウィーンにて、というのが定説である。

モーツァルトは当時27歳であったはずだが、ピアノ曲の作曲の円熟期であることが、これらのソナタを聴いていてよく分かる。

この曲もモーツァルトのピアノソナタの中では地味なほうだが、聴けば聴くほど好きになる、名曲であると思う。

ピアノ協奏曲(Piano Concerto)ピアノ協奏曲 第26番「戴冠式」(Piano Concerto No.26 “Coronation”)【1788年作曲】

この作品は1788年に作曲された。そして、1790年にレオポルト2生の即位に際し演奏されたことからこの名がつけられている。

実際にはモーツァルトが戴冠式のために書いたわけではなく、たまたま出来上がっていたこの曲を献呈しただけのことなのだが、第1楽章のなんともいえない気品や第2楽章の爽やかな旋律は「戴冠式」という厳粛なセレモニーに相応しい作品である。現在も最も有名で人気の高い作品の一つである。

ヴァイオリンソナタ(Violin Sonata)【1762~88年作曲】

モーツァルトはピアノのためのソナタを多く作曲し、ピアニストとしても即興演奏で有名であるが、ヴァイオリンに関しても非常に優れた作品を残している。

数だけならヴァイオリンソナタのほうが多いくらいである。

ヴァイオリンソナタはベートーヴェンがクロイツェルソナタで革命を起こすまではヴァイオリン付ピアノソナタという性格が強かった。もちろんモーツァルトもそのような形式で書かれている。

ただし、モーツァルトがハイドンなどの時代の形式そのままに作曲し続けたかというとそうではなく、特にK300番台以降は徐々にヴァイオリンに比重が移っていった。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの改革もモーツァルトあってのことだったのかもしれない。

第28番 K.304

この作品は1778年ごろ作曲された。

22歳の若きモーツァルトが母の死という悲しみの中で作曲した全ヴァイオリンソナタ中唯一の短調作品である。

2楽章のソナタ楽章とメヌエットで構成されている。

第35番 K.379

この作品は1781年に作曲された。

1781年はモーツァルトにとって特別な年である。彼はザルツブルクで大司教のオルガニストとしての職についていたが、この年、大司教と喧嘩をしてウィーンに飛びだした。

曲調はこの作曲を始める前のパリへの旅行の影響などで、パリ風の2楽章形式だが、長い序奏を持つこの作品は3部形式といっても良いほどである。第1楽章はソナタ形式で、第2楽章は変奏曲となっている。

第42番 K.526

この作品は1787年に作曲された。

当時モーツァルトはプラハから依頼されたオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の作曲に集中しており、その作曲後に書かれたと見られている。

そしてこの作品の第2楽章の悲哀は幼少時代の師匠である「アーベル」が亡くなったことへの追悼の意味が込められているとされている。

□モーツァルトのピアノ以外の作品

交響曲 第25番(Symphony No.25)【1773年作曲】

1773年に作曲されたモーツァルトのシンフォニーでは珍しい短調の傑作。

ちなみに短調のものは40番とこの曲の2曲だけである。40番と比較して「小ト短調」と呼ばれることもある。第1楽章はテレビなどでもときおり流れる美しい旋律でリズムもはっきりした気持ちの良い曲である。

第4楽章はそれまでの楽章のまとめとして、たたずまいも申し分なく若きモーツァルトの天才性を浮き彫りにしている。

交響曲 第29番(Symphony No.29)【1773~74年作曲】

1773年暮れから1774年にかけて作曲された若きモーツァルトの傑作。

25番とともにそれまでのイタリアの娯楽的な様式から交響曲としての形式を作り出したという観点から考えても重要な曲である。

内容は室内楽的に管楽器をあまり使わず、弦を濃密に使う手法でその後の交響曲の形式を作り出した。それはソナタ形式であり、主題の統一である。

このように技巧を十分に凝らしながら音楽はいたって自然に流れるという点もモーツァルトらしい天性の才能に溢れた作品といえるだろう。

交響曲 第33番(Symphony No.33)【1779年作曲】

この作品は1779年、ザルツブルク時代に作曲されたものである。

もともとは3楽章構成だったが、1782年ごろ演奏会のためにメヌエットが追加された。

あまり有名な作品ではないが、「モーツァルトの田園交響曲」と呼ばれることもある明るい曲で、リズムも軽くモーツァルトの気負いのない若々しさが詰まった名作である。

交響曲 第35番「ハフナー」(Symphony No.35 “Haffner”)【1782年作曲】

1776年に書いたセレナーデを1782年に交響曲に編曲したもの。

セレナーデも交響曲もハフナー家のために作られたため、「ハフナー交響曲」と呼ばれている。

男性的で力強い第1楽章、優美で重厚な第2楽章、モーツァルト自身のオペラ「にせの女庭師」からとったと言われる力強いメヌエットの第3楽章、「後宮からの誘拐」からとったとされる、これも力強く華やかな第4楽章からなっている。

交響曲 第36番「リンツ」(Symphony No.36 “Linz”)【1783年作曲】

この作品は1783年、コンスタンツェと結婚して間もない27歳のモーツァルトが書いた傑作である。

彼はこの時、コンスタンツェを父親に紹介し、姉の誕生日を祝うという幸せの中、さらに立ち寄ったリンツでトゥーン=ホーエンシュタイン伯爵という音楽に理解のあるすばらしい人物に出会うという幸運を得たのである。伯爵はモーツァルトを歓迎し、音楽会まで開くことにする。その好意にこたえるためにモーツァルトがわずか数日で書いたのがこの作品である。このときのモーツァルトの精神が素晴らしい状態にあったことも示しているエピソードである。

この交響曲は激しい始まりだが、その後は明るい曲調で緩徐楽章も典雅で上品な曲調である。また終楽章はそれまでと一転して、スピード感と強弱のはっきりしたフィナーレにふさわしいものとなっている。

交響曲 第38番「プラハ」(Symphony No.38 “Prague”)【1786年作曲】

1786年にモーツァルトは「フィガロの結婚」をウィーンで初演したが、これはあまり受けず、新しいプログラム作りのためにこの作品の構想を練り始め、1786年暮れに完成した。

ウィーンではあまり受けなかった「フィガロの結婚」がプラハで大好評を博し、招待されたのは年が明けてすぐのことだった。プラハでのモーツァルトの人気はすさまじく、彼は持ってきた新作交響曲を披露した。そのため、この作品は「プラハ」という愛称で呼ばれているのである。

この作品は3楽章で構成され、特徴としては第1楽章に非常に長い序奏がついていることだろう。また、この作品はシンコペーションを利用した主題が作品に緊張感を与えている。最後の3つの交響曲に負けない完成された美しさを持っているといえよう。

交響曲 第39番(Symphony No.39)【1788年作曲】

1788年に書かれた作品だが、この作品が6月26日、40番は7月25日、そして最後交響曲である41番は8月10日に完成された。この頃のモーツァルトは宮廷作曲家の地位と安定した俸給、仕事の面でも「フィガロの結婚」の成功など、名声も確立した。若きベートーヴェンが教えを乞うために訪問したのもこの頃だったが、残念ながらこの頃のモーツァルトは忙しすぎて相手をすることもできなかった。この晩年の交響曲の第1楽章は荘厳な始まりで、どちらかというと不吉な暗示がされる。しかし、その後、強い意志を感じさせる旋律へとつながっていく。第2楽章はモーツァルト的な上品な緩徐楽章といってよいだろう。第3楽章はモーツァルトの交響曲のメヌエットで最も有名な作品である。そして第4楽章は弦の呼応がすばらしく、この交響曲を締めくくるにふさわしい重厚な作品である。

交響曲 第40番(Symphony No.40)【1788年作曲】

この作品は1788年の7月に作曲された。

ト短調の作品であるが、このト短調というのはモーツァルトの交響曲の中では特別な調性と一般に言われる。それは、ト短調には25番とこの作品の2曲あるがこの2曲の持つ悲劇的なイメージが他どの交響曲作品にもないため、モーツァルトの内面の暗さを描いた数少ない作品だと考えられるからである。

実際モーツァルトは貧困にあえぎ、さらに追い討ちをかけるようにこの作品が作曲される頃娘を病気で失ったことからも、モーツァルトの失意を映し出した作品といえるのかもしれない。

交響曲 第41番「ジュピター」(Symphony No.41 “Jupiter”)【1788年作曲】

モーツァルトが1788年の8月に完成させた最後の交響曲がこの「ジュピター」である。ト短調で悲劇に満ちた40番と較べるとハ長調で明るく壮大なこの作品はモーツァルトらしい作品といえるかもしれない。この作品は40番とともに構成や形式が完成され、モーツァルトの作曲技法の絶頂である。特にこの作品は「ギリシャ的造形美の極致」と批評されるほどの完成度を誇る。作品名「ジュピター」の由来は、そのスケールの大きさや先に述べた完成された構成からギリシャの最高神ジュピターを思わせるとして19世紀には既につけられていたと言われている。またこの作品の4楽章に現れる主題はジュピター音型と呼ばれ、この作品以外にもモーツァルトが好んで使ったと言われるド・レ・ファ・ミで作られるものである。

レクイエム(Requiem)【1791年作曲】

1791年、7月、灰色の服を着た不気味な男がモーツァルト宅を訪ねた。彼はある人物の使者を名乗り、「レクイエム」を依頼する旨の手紙をモーツァルトに手渡した。当時、健康とは到底言い難かったモーツァルトは不吉な予感を感じながらも生活苦からその依頼を受けた。モーツァルトは死の床ですら完成させようと努力したが、結局完成することはなかった。以上が「レクイエム」の逸話である。

レクイエムはモーツァルトの生涯最後の曲であり、生涯最後の曲が鎮魂歌ということでさまざまな伝説も生まれた。

また「レクイエム」は未完でモーツァルトが亡くなったため、弟子のジュスマイアによって半分以上書かれたが、それでも、心に響き、音楽のとりこにされるのはやはり、モーツァルトの魔力といえるのではないだろうか?

セレナード 第6番「セレナータ・ノットゥルナ」(Serenade No.6 “Serenata notturna”)【1776年作曲】

この作品は1776年ザルツブルク時代に作曲された。

当時宮廷音楽家の身分であったモーツァルトはセレナードやディヴェルメントを多く作曲しておりその中の一曲である。

ただし、セレナードにしては短すぎる3楽章構成で誰の依頼かもはっきりしておらず、謎の多い作品である。

セレナード 第7番「ハフナー」(Serenade No.7 “Haffner”)【1776年作曲】

モーツァルトが1776年に作曲した作品で、モーツァルト家と仲の良かったハフナー家のマリー・エリーザベトの結婚に際し作曲された。

8つの楽章を持ち、ザルツブルクで作曲されたセレナードの中では最も規模の大きいものとなっている。この作品のロンドはクライスラーによって編曲されたことでも有名である。

セレナード 第9番「ポストホルン」(Serenade No.9 “Posthorn”)【1779年作曲】

1779年に作曲されたこの作品の名前の由来となった「ポストホルン」とはトランペットのような音色の金管楽器の一種でホルンの小型版といえる。

もともとは郵便局員などが吹く楽器でモーツァルトはこの楽器を使って他に「そりすべり」という作品を作曲するなど当時なじみのある楽器だったようだ。

またザルツブルクに居た頃の最後のセレナードで7楽章で構成されており、楽器編成などを見てみても規模の大きな作品である。

セレナード 第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(Serenade No.13 “Eine kleine Nachtmusik”)【1787年作曲】

1787年に作曲されたこの作品は交響曲の形式に限りなく近く4楽章構成である。

ところがモーツァルトの作品目録によると「アイネ・クライネ・ナハトムジーク。アレグロ、メヌエットとトリオ、ロマンツェ、メヌエットとトリオ、そしてフィナーレからなる」と書かれており、セレナードとして作曲されているのは明らかである。

現在も、この中から2曲目のメヌエットとトリオが抜けていること、そして、セレナードでありながら管楽器が存在しないことなどから、多くの謎が残された作品である。

ディベルティメント(Divertimento)【1771~79年作曲】

ディヴェルメントとはイタリア語からとられた「娯楽」や「気晴らし」という意味の作品で、大きな祭典で演奏されるわけではなく屋内でするパーティなどでちょっとした楽しみのために演奏される作品である。

楽章は多いが、セレナーデとは異なり屋内なので、大編成は必要なくアンサンブルのような形式も多く見られる。

クラリネット五重奏曲(Clarinet Quintets)【1789年作曲】

1789年に作曲された作品。

この「クラリネット五重奏曲」というジャンルはモーツァルトが初めて創りだした。モーツァルトの「白鳥の歌」としても有名であり、「レクイエム」と並行して作曲された。

またこの作品はアントン・シュードラーというウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者のために作曲された作品で、モーツァルトは同じフリーメーソンの仲間という縁もあって彼とは親しく交際し、クラリネット協奏曲も彼のために書いたといわれている。4楽章形式で非常に透明で美しい作品である。