ストラヴィンスキー

Igor Stravinsky【1882年6月17日-1971年4月6日】

Stravinskyストラヴィンスキーは1882年、ロシアのペテルブルクで生まれた。

彼はリムスキー・コルサコフから作曲を学んでいたが、ディアギレフに注目され、彼から援助を受けた。

その後、バレエ曲をいくつも作り、1913年には日本でも馴染みのある「春の祭典」でセンセーションを引き起こした。

しかし第1次大戦が起こり、彼はスイスに亡命する。

ここでストラヴィンスキーはそれまでの前衛的な作品から古典的な様式に方向転換した。しかし、その後彼はナチスドイツににらまれてしまい、アメリカへの亡命を余儀なくされてしまう。

アメリカでは、ハーバード大学で教えた後、ハリウッドに移った。彼は敬虔なキリスト教徒で、作品にも宗教音楽が多く残っている。彼の作品は、常に多くの人々に新鮮な驚きを与えた。特に1950年から12音技法を採用し、後の作曲家への道を切り開いた。

□イーゴリ・ストラヴィンスキー 略歴

1882年 ロシア、ペテルブルクに生まれる
1902年 リムスキー・コルサコフに学ぶ
1906年 いとこのエカチェリーナ・ノセンコと結婚
1914年 スイスに亡命
1917年 実家の土地が国家に没収される
1939年 アメリカに亡命
1959年 日本を訪問
1962年 ソ連訪問
1969年 ニューヨークで死去

□ストラヴィンスキーのピアノ作品

ペトルーシュカからの3楽章 (Trois Mouvements de Petrouchka)【1914年作曲】

ストラヴィンスキーが1911年に作曲し、彼の3大バレエ音楽の一つペトルーシュカを1914年にアルトゥール・ルービンシュタインの依頼でピアノ用に編曲したもの。

3楽章で構成されており、第1楽章は原曲でも第1場に入っている「ロシアの踊り」。第2楽章は「ペトルーシュカの部屋」、この作品は原曲の第2場。第3楽章は原曲では第4場にあたる「謝肉祭の市」から。ただし「ペトルーシュカの死」から「幽霊の出現」までは入っていない。

まさしくピアノにオーケストラを詰め込んだような作品で非常に難解な内容で演奏レベルも高く難曲として有名である。しかし同時に命を吹き込まれたわら人形の物語というバレエの内容を思わせる素晴らしい内容から多くのピアニストに支持され人気のある作品でもある。

ピアノ以外の作品火の鳥(L’Oiseau de feu)【1910年作曲】

1910年に初演された「火の鳥」は「ペトルーシュカ」「春の祭典」とともに3大バレエ音楽と呼ばれている。

その中で最も早くに作曲されたこの作品は、悪魔カスチェイの城に閉じ込められた王女13人を王子イワンが火の鳥の助けを得て救い出すというものである。若きストラヴィンスキーの出世作といっても良い作品である。

バレエ用の全22曲以外に組曲版も2種類存在している。

春の祭典(Le sacre du printemps)【1913年作曲】
この作品は1913年に作曲された2部形式のバレエ作品で第1部は「大地礼讃」第2部は「いけにえ」で全14曲で構成されている。
この作品はストラヴィンスキーの3大バレエ音楽の最後の作品であり、既に「火の鳥」「ペトルーシュカ」で名声を得ていたストラヴィンスキーであったが、初演は散々であった。
内容はいけにえとして処女を大地にささげるというショッキングなもので、音楽的にも不協和音や奇抜なリズムで初演から賛否が別れ、「春の殺戮」と新聞で批評される始末だった。
しかし、ストラヴィンスキーの音楽に否定論者も引き込まれたようで、3日目からは熱狂的な拍手へと変わった。