武満徹

Toru Takemitsu【1930年10月8日-1996年2月20日】

武満徹の世界

武満徹は1930年、東京に生まれ、生後まもなく一家で満州に移住した。

彼は小学校入学を期に1人東京に戻ってきて、現在では考えられないことだが、音楽に関する勉強を独学で行った。

これは、東京藝術大学に不合格であったためである。

作曲活動について触れておくと、まず彼の初期の作品はなかなか理解されなかった。しかしめげることなく、「実験工房」という、前衛音楽を研究するグループに入るなど様々な活動を行いながら作曲活動を続けた。

転機は、1957年に作曲した「弦楽のためのレクイエム」がストラヴィンスキーに評価されたことにある。この出来事が武満の名を世界に広めることとなった。

さらに1967年には、バーンスタインによりニューヨークフィル創立125周年のための音楽作曲を依頼され、「ノヴェンバー・ステップス」を作曲した。彼は東洋思想とクラシック音楽を融合させ、日本古来の楽器をオーケストラに取り入れた。

日本のオペラを作曲しようとしていた1996年、ガンのため惜しまれながら亡くなった。

□武満徹 略歴

1930年 東京に生まれ、まもなく満州に移住する
1937年 小学校入学のため、東京に戻る
1951年 「実験工房」のメンバーとなる
1959年 ストラヴィンスキーに認められる
1967年 ニューヨークフィルのために作曲する
1996年 死去