ウェーバー

Carl Maria Friedrich Ernst von Weber【1786年11月18日-1826年6月5日】

Weberウェーバーは1786年ドイツに生まれた。

彼の父親は劇団を主宰し、早くから息子を音楽家にしようとした。なんとこの父親はモーツァルトの妻、コンスタンツェの兄である。

つまりウェーバーとモーツァルトは親戚関係にあったのだった。

ウェーバーは父親の望みどおり11歳でオペラを書くなど神童ぶりを発揮し、ピアニストとしても各地でリサイタルを開くほどの腕前であった。

さらに27歳でプラハの歌劇場の音楽監督になり、その後もザクセンの宮廷楽長など名誉ある職を転々とした。

彼の作品は「魔弾の射手」を含めオペラやオーケストラが有名で後世に大きな影響を与えた。

□ウェーバーのピアノ以外の作品

魔弾の射手(Der Freischutz)【1820年作曲】

魔弾の射手は1820年、当時イタリアオペラ全盛の時に書かれたドイツの国民的オペラである。

物語の筋書きはドイツの民話から採られており、魔弾は撃つものの思い通りのところに当たる弾のこと。翌日に射撃大会を控えた青年が、その結果しだいでは花嫁の父親に結婚を破棄されるという状況下で友人に唆されドイツの森で魔弾と引き換えに悪魔に魂を売る。実はこれは全て友人が仕組んだ罠であり、青年の命は友人により悪魔に捧げられてしまっていた。しかし、射撃大会当日森の隠者の助けと花嫁の純粋な愛により青年は救われ、結婚するというものである。

当時、ナポレオンによって圧迫されていた民衆の思いと相まってこの作品は大人気となり、何十回もの公演が行われた。