ジョルジュ・シフラ

Georges Cziffra【1921年11月5日~1994年1月17日】

ラ・カンパネラ(ベスト・オブ・リスト)

シフラは1921年、ルーマニアで生まれた。

彼の人生はその華麗な演奏とは全く異なる、苦難の連続であった。

まず、生後数年間は体も弱く、寝たきりのことが多かったらしい。

それでも、この巨匠は父親がジプシー音楽家であったことから5歳でピアノを学び始め、もって生まれた才能から、わずか9歳でフランツ・リスト音楽院に入学し、12歳でコンサートデビューを果たした。

ところが、第2次世界大戦の中で父を亡くした上に、自身も片耳を負傷し、聞こえなくなってしまう。

さらに、ハンガリーは戦後、ソ連の支配下に置かれ、彼は亡命を決意した。しかしこれが当局にバレてしまい、3年間刑務所に入れられてしまった。

彼がやっとハンガリーを脱出したのは、1956年、ハンガリー動乱の時であった。この脱出は、徒歩で国境を越えるという、過酷なものであったという。

なんとか西側に移ったシフラだったが、西側では爆発的に人気を獲得し、ヨーロッパ中でリサイタルや録音をすることとなった。また、1967年には芸術センター、1968年にはシフラ・ピアノコンクールを設立した。

C.P.E.バッハ:アンダンティーノ ロ短調/D.スカルラッティ:ソナタ ヘ長調/リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番 他

しかし、苦難は再びやってくる。

1981年、家が火事になり、息子がなくなるという事件が起こったのである。

これまで数々の苦難を乗り越えてきたシフラも、このときばかりは意気消沈してしまったようだ。

ピアノに向かう力を失ってしまう。

その5年後再びピアノを取り戻そうと努力し始めたが、かつての力を取り戻すに至る前、1994年パリで、肺がんにより死亡した。

彼のような鬼才は2度と生まれないだろうと思わせるほどの輝くようなヴィルトゥオジティあふれる演奏。リストの「大ギャロップ」を弾く様子は、人間技ではない。

□ジョルジュ・シフラ 略歴

1921年 ルーマニアで生まれる
1926年 ピアノを学び始める
1930年 フランツ・リスト音楽院に入学
1933年 コンサートデビュー
1950年 亡命失敗、懲役3年の刑を受ける
1955年 フランツ・リスト賞を受賞
1956年 ヨーロッパデビュー
1964年 来日
1974年 ロンドンでの最後のリサイタル
1981年 息子の死去
1989年 パリで最後のリサイタル
1994年 死去

□使用メーカー

□ジョルジュ・シフラ DVD紹介


アート・オブ・ピアノ-20世紀の偉大なピアニストたち- [DVD]
映像で歴史的演奏を見ることができます。スタインウェイをパデレフスキ、ホフマン、ホロヴィッツ、シフラ、ヘス、ルービンシュタイン、ギレリス、ミケランジェリ、グールドが弾いています。また、プレイエルを弾き、授業をするコルトーやベーゼンドルファーをバックハウス、フィッシャーが弾いています。ピアノメーカーは確認できませんでしたが、リヒテル、モイセイヴィチ、プランテも演奏を見せてくれます。

Georges Cziffra : Chopin, Liszt & Franck (EMI Classic Archive) [DVD] [Import]
大ギャロップをはじめとするリスト、ショパンのスケルツォなどが収録されています。シフラの超絶技巧をこれでもかというほど堪能できると思います。

□ジョルジュ・シフラ CD紹介


ラ・カンパネラ(ベスト・オブ・リスト)
シフラはとにかく超絶技巧でならしたピアニストです。そんなシフラと同じく超絶技巧のピアニストだったリストが合わないはずがありません。「ハンガリー狂詩曲2番」「ラ・カンパネラ」「愛の夢」など有名どころが入っていますので、初めてっていう人にもおすすめ。

リスト:超絶技巧練習曲集
“リストの再来”と呼ばれたシフラがその本領を遺憾なく発揮した名盤。超絶技巧を華やかに披露した、エンタテインメント満点の演奏です。シフラのヴィルトゥオロジーはリストで最も体感できると思います。

リスト:ピアノ協奏曲第1番&第2番
若くして亡くなったシフラの息子が指揮をした親子の共演のアルバムです。やはり息子との共演ということで気持ちがこもっていたのか凄まじい演奏です。