ハービー・ハンコック

Herbie Hancock【1940年4月12日~】

リヴァー~ジョニ・ミッチェルへのオマージュ

1940年4月12日アメリカのイリノイ州シカゴで生まれた。7歳でピアノを弾き始め、11歳の時にはシカゴ交響楽団と共演するなど神童であった。

その後20歳まではクラシックを学んだ。

ジャズはオスカー・ピーターソンジョージ・シアリングをコピーして学び、マッコイ・タイナー、ウィントン・ケリー、ビル・エヴァンスに影響を受けた。

大学卒業後、郵便局員として働きながら夜にジャズをしていたが、1960年、偶然にもトランペット奏者のドナルド・バードと共演し、そのままメンバーとしてニューヨークへ移った。

62年にはソロデビューをするも63年からマイルスバンドに加入した。

マイルスバンドを辞める頃は自分の音楽を模索して始めていたが、新婚旅行から帰ってくるとチック・コリアがメンバーに入っており、しばらくは二人キーボードであったが、結局辞めることとなった。しかし、特に喧嘩したというようなことではなかったらしい。チック・コリアとは親友であり、ハービーの代表作の一つである「処女航海」はマイルスを思い作ったとのことである。

その後、1974年「ヘッド・ハンターズ」で一躍スターになるとジャズ、ファンクとダンスミュージックの融合を体現した。

90年代にはクラシックの「ガーシュイン・ワールド」でグラミー賞を受賞した。

2002年、2003年の東京JAZZで音楽監督を務めるなど幅広い活動を行っている。

インタビューの中でアコースティックとエレキについて、「単なる方法論の一つである」と言っているが、一方で「ガーシュイン・ワールド」をレコーディングしてみて「アコースティックの音にはエレクトリックでは届かない領域がある」という考えも示している。

人気の高い「ウォーターメロンマン」はファーストアルバムの売り上げを伸ばすために商業用に書いた作品であると言っているが、ハービーにとっては「『自分の創った音楽で人の心が動く』ことが何にも勝る喜びである」のでその作品で人々の心が動けば商業用だろうと関係ないのであろう。

ザ・ニュー・スタンダード+1
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□ハービー・ハンコック CD紹介


Takin Off (Reis)
1962年のハービー・ハンコックの初リーダー作。ウォーターメロンマンはこの1枚目のアルバムを売るために作ったとインタビューで答えているが、不朽の名作となった。

処女航海
1965年にマイルスバンド時代に録音したリーダー作品。マイルスバンドからの処女航海という意味合いなのでしょうか?ハービー・ハンコックの代表作となりました。アコースティックで気持ちの良いジャズを届けてくれます。

スピーク・ライク・ア・チャイルド+3
1968年に録音されたピアノトリオ+ホーンの傑作です。処女航海の流れをくんだアルバムと言えるでしょう。ジャケットのキスをする二人はハービーとその奥さんだそうです。

ヘッド・ハンターズ
上記の処女航海からおよそ10年後の1974年の作品。エレクトリックの楽器を使用し、ファンクやR&Bを取り入れた一見してジャズなのか疑ってしまうような楽曲。しかし、ビル・エヴァンスなどとは違うカッコよさがあります。そして聴いていると癖になります。

ザ・ピアノ
1978年に録音された初のピアノソロアルバム。スタンダードナンバーが揃っており、落ち着いたしっとりとしたジャズを聴かせてくれます。そしてこのアルバムは日本で録音されたそうです。