ベーゼンドルファー(Bosendorfer)

ベーゼンドルファーのピアノは、世界中の多くの音楽家や作曲家によって使われ、愛されてきたピアノである。

◆ベーゼンドルファーの歴史

Boesendorfe創始者は、イグナッツ・ベーゼンドルファーで1794年、オーストリアのウィーンで生まれた。

当時ウィーンは、ヨーロッパの文化の中心の1つであり、多くの作曲家や音楽家が集う場所でもあった。

ベーゼンドルファーは、ジョセフ(ヨーゼフ)・ブロードマンという、当時尊敬を得ていたピアノとオルガン製作者のもとで修行した。

ブロードマンは耐久性の高い響板の開発などにも取り組んでいた。後々、リストの演奏に耐えられたのはこの親方の教えがあったからかもしれない。

その後1827年の33歳からは自分の工場を持った。ベーゼンドルファーの歴史はこの年から始まったのである。

メッテルニッヒの抑圧体制の下、国民が芸術に力を入れる時代背景もあり、彼の作るピアノは質が高く、工場を持った翌年にはウィーン市長からピアノマスターという称号を受けた。さらにその翌年にはオーストリア皇帝フランツ1世から「宮廷及び会議所に御用達のピアノ製造業者」という称号を得た。

Liszt _pしかし、彼のピアノの価値を最もあげたのは、他でもない、フランツ・リストだった。

ある日ベーゼンドルファーは、17歳でウィーンに出てきた若きリストがピアノを探している、との情報を得た。

リストの力強いタッチでは、当時のピアノはコンサート中に音が狂ってしまうことがよくあったといわれている。

しかし、ベーゼンドルファーの作ったピアノを使ってみたところ、リサイタル後も音の狂いやズレはほとんどなかったのである。

これによりリストはベーゼンドルファーを好んで使うようになり、ベーゼンドルファーの名前と地位は不動のものとなった。

同様のエピソードがベヒシュタインにも伝わっており、このことからも、いかにリストがピアノ職人泣かせだったのと同時にピアノの発展に寄与したのかが分かる。

その後も、ベーゼンドルファーの不断の努力と共に、2代目を継いだルートヴィヒ・ベーゼンドルファーは1872年にベーゼンドルファーホールを建設し、音楽界に貢献した。

しかし、ベーゼンドルファーは第2次世界大戦を乗り越えたかにみえた1966年、アメリカのキンボール社に買収された。そして21世紀になり、2002年オーストリアの銀行BAWAGP.S.K.グループにより、再び本国に戻った。

現在もコンサートグランドだけを、伝統的な技術を守り、最高の技術者が、熟練した技能でその音を守り続けている。プロのピアニストが弾くピアノとしてはスタインウェイに次いで多く、その音はウィンナトーンとも呼ばれる最高のピアニッシモで世界中の人を魅了し続けている。

◆ベーゼンドルファーで録音されたCD

ヴィルヘルム=バックハウスは1884年ドイツ生まれ(後にスイス永住)のピアニストです。1966年にはオーストリア共和国芸術名誉十字勲章を受け、ベーゼンドルファーから20世紀最大のピアニストに贈られる指環を受けました。ベートーヴェンやリストの直系ピアニストとしてのバックハウスの演奏は、特にベートーヴェンの演奏の一つの基準になっています。デッカで録音されたものはほとんどベーゼンドルファーだそうです。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集 (Beethoven : Piano Sonatas Nos. 15, 18, 21 & 30 / Wilhelm Backhaus (1969 LIVE)) (2CD)
バックハウス/ベートーヴェン:四大ピアノ・ソナタ集
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、モーツァルト:第27番



アンドラーシュ=シフは1953年ハンガリー出身のピアニストです。チャイコフスキー国際コンクール4位、リーズ国際コンクールで3位実力の持ち主です。
Piano Sonatas
シューベルト:ピアノ・ソナタ全集 Vol.7


フリードリヒ=グルダは1930年生まれのオーストリアのピアニストで、ジャズを弾いたり、「私が弾くとどんな作品でもグルダになる」というような発言が物議をかもしました。
モーツァルト・アーカイヴII
シューベルト:4つの即興曲集


アルフレッド=ブレンデルは1931年チェコ生まれのピアニストです。ウィーン音楽院でも学びましたが、ほとんど独学で巨匠と呼ばれるまでになりました。
ライヴ・イン・ザルツブルク

エディ=ヒギンズは1932年生まれのジャズピアニストです。日本のヴィーナスレコードが日本人好みなヒギンズを全面的に応援し、素晴らしい録音を制作しました。日本のジャズの賞を取ってアメリカに逆輸入されるほどになりました。
あなたは恋を知らない

キース=ジャレットは1945年アメリカ生まれのジャズピアニストです。この録音は完全即興で演奏されたコンサートのライブ盤で、名盤として世界中で売れた録音です。前日からの移動で一睡もせず、食事も満足にとれていない状態でのコンサートだったということです。さらにひどいことには、ベーゼンドルファーがコンサート会場の近くに2台あり、片方は良い状態、片方は良くない状態だったのですが、ミスで良くない方が入っていたそうです。そのため、前半は出来るだけピアノに合わせて中音域を多用しているとのことです。
ザ・ケルン・コンサート [SHM-CD]