エラール(Erard)

エラールの出現は、フランスのピアノを一流に高め、ピアノ文化を広げるきっかけとなった。

◆エラールの歴史

erard_2エラールの創始者である、セバスチャン・エラールは、1752年にラスブルグで生まれた。

彼は機械に対して興味を示し、建築学などを学んでいたが16歳の時、父を亡くしたため、家族を世話するために家具職人となった。

しかし機械や機構に対して鋭い感性を持っていた彼は家具職人では満足できなくなり、パリへと旅立った。

パリでチェンバロメーカーに勤め始めると、彼はその類まれな技術力でみるみるうちに上達し、あっという間に師匠の技術を超えてしまうほどとなる。

初めに勤めたメーカーでは、それが理由でクビにされてしまう。

さらに、2軒目では当時の職人達のモラルに反し、師匠の代わりにピアノを作る事となった。このことが世間にばれないはずもなく、結局辞めることになってしまったのだが、この件はむしろエラールの名前が良い意味で世間に広まる結果となった。

erard_pその後彼にはパトロンがつき、工房を開き、1777年に最初のピアノを発表したといわれているが、このため同時に周囲のやっかみにあい、ギルドから外されてしまった。

当時ギルド(同業者組合)から外れることは職を失うことを意味していた。

しかし、エラールはピアノ製作を続けるため、フランス王朝のマリー・アントワネットに取り入ることにしたらしい。

そのため、多くのピアノをマリー・アントワネットに贈っている。

ところが、なかなか上手くいかないもので、フランス革命が起こりなんとエラールも処刑の対象となってしまったのである。

処刑から逃れるため、彼はイギリスに渡った。

イギリスにはブロードウッドなど名だたるピアノメーカーもあり、そこでピアノ製作をさらに学び、研究し続けたのである。

その後、1796年にパリに戻る頃にはイギリスでも確固たる地位を築いたエラールはヨーロッパ最高のピアノメーカーへと育っていった。

◆現在のエラール

エラールは経営難から第2次世界大戦後ガヴォーと合併した。

しかし、それでも持ちこたえられず、1960年に工場を閉鎖となってしまった。1961年プレイエルと合併し、社名が「プレイエル・ガヴォー」となり、残念ながら名前も消えてしまった。

その後プレイエル・ガヴォーも倒産し、ついにこれらの3ブランドはドイツのシンメル社に買い取られてしまうこととなった。

しかし国産ピアノ会社がなくなってしまったことを憂慮したフランス政府の援助で「ラモー(Rameau)」というピアノメーカーが設立され、1994年にラモーが、プレイエル、エラール、ガヴォーを買い戻し、「フレンチ・ピアノ・マニュファクチュア」という会社名となった。

現在は1996年社名を「PLAYEL&Co.」とし、復活しているが、エラールは現在製造されていない。

こうしてエラールの輝かしい歴史は幕を閉じたのである。

◆エラールの発明

セバスチャン・エラールは発明家としても優れた才能を持っていた。

最も有名なのは「ダブル・エスケープメント」と「アグラフ(アグラッフェ)」と呼ばれる機構である。「ダブル・エスケープメント」はイギリスアクションのグランドピアノを大きく進歩させたといえる。この機構のおかげで鍵盤の連打ができるようになり、イギリスアクションの発展に大きく貢献した。
「アグラフ」はグランドピアノの高音部の音をきっちりと止め、音程を確かにする働きを持っている。現在はプレッシャーバーで弦を止める機構が主流となり、使われていないが、19世紀に製造されたピアノの中を見てみると使われているものもある。

それ以外にも低音部にいち早く巻き線を使用したり、フランスで初めて木製のフレームの枠に金属の補強を入れるなど、新しい取り組みや発明にも柔軟に対応していった。

◆エラールと作曲家・演奏家

エラールは様々な作曲家に愛され、彼らの求めに応じる形でピアノを発展させた。

ベートーヴェンは5オクターブ半のエラールのピアノの出現により、「ヴァルトシュタイン」、「ピアノ協奏曲第3番」や「熱情」を作曲したとされている。
また、リストの「ラ・カンパネッラ」の改訂版は当時エラールのピアノでしか演奏できなかったといわれている。

◆エラールで録音されたCD紹介

エマニュエル=アックスは1949年ポーランド生まれのピアニストです。様々なコンクールで入賞し、1974年にテルアヴィヴ国際アルトゥール・ルービンシュタインコンクールに優勝しました。日本人ピアニスト野崎洋子と結婚し、現在も活躍中です。
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
ショパン:ピアノ協奏曲第2番


マルグリット=ロンは1874年にフランス生まれの女性ピアニストです。パリ音楽院で学び、私生活では夫を第1次大戦で亡くすなど苦難を味わいましたが、ピアニストとしても教師としても多くの功績を残しました。現在ロン=ティボー国際コンクールが開催されていますが、これはロンとヴァイオリニストのジャック=ティボーによって設立されたものです。
ショパン&ラヴェル:P協奏曲