世界の名器と職人たち~イタリア~

itaイタリアとピアノの出会い

イタリアはルネサンス期から都市による自治などによって、大きな中央集権国家を持たずにいた。

それぞれの都市が権力、領地争いに力を注ぎ、貴族制が強まったルネサンス期以降も統一という考えにはいたらなかった。

その結果、強い中央集権国家を成立させた多くの国から領土を奪われて、結果として分割されることとなってしまったのである。

そのような中でも17世紀末の数十年間は比較的平和な時代が続いた。この時期にクリストフォリはトスカーナ公(メディチ家の末裔)のもとピアノ製作を行うのであるが、この時期のイタリアのもっとも大きな為政者はスペインであった。しかし、このスペイン支配の中で狭い地域での領地拡大しか見ていなかったイタリア国民は北ヨーロッパの進んだ経済、文化を手に入れることができなかった。

1700年カルロ4世の死後、スペイン継承戦争、ポーランド継承戦争、オーストリア継承戦争を経て結局イタリアの社会情勢はほとんど変化しなかったといえる。

1765年から1790年の間のトスカーナ地方は啓蒙専制君主でもあったレオポルド大公によって、ギルドの廃止など労働者にとっては働きやすい環境となり、フィレンツェは都市の中でも最も進歩的となったが、南部のナポリ王国を始め、多くの都市では固有の伝統と他ヨーロッパの国々の進んだ思想の間で揺れ動くこととなったのである。

このようにルネサンス期からの歴史的状況から、文化的に遅れ、統一すらままならないイタリアで新しい楽器の改良、発展が行われるのは難しかったのではないかと思われる。

その結果としてイタリアで発明されたピアノはイタリアを除くドイツ、イギリス、フランスでピアノの完成を見るのである。

◆イタリアのピアノメーカー紹介

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