ヤマハ(YAMAHA)

ヤマハは外国に劣らない国産ピアノを製作し、現在は世界最高のピアノメーカーの1つとして、世界中から愛されている。

◆ヤマハの歴史

torakusuヤマハ創設者の山葉寅楠(やまはとらくす)は、1851年に紀州藩の武士の家に生まれた。

時代は明治維新へと向かう中であり、彼も17歳のとき、鳥羽・伏見の戦いに参加している。

江戸幕府がなくなり、武士から士族へと身分が変わったとき、彼は新しい職に就くべく、長崎で時計製作を、その後は医療器具の修理を学んだが、どちらも商売として成功することはなかった。

そんな中、35歳の時に偶然出会ったメイソン&ハムリンのオルガンの修理をきっかけに、オルガン製作を志すこととなった。

これが彼の、ヤマハの未来を創る運命的出会いであった。

彼は助手を1人雇い、2人で2ヵ月余りを費やし、第1号のオルガンを作った。

そして1888年、浜松に「山葉風琴製作所」を創立、さらに翌年、工業博覧会で2等を獲得し、日本を代表するオルガンメーカーとなったのである。

1897年には日本楽器製造株式会社を設立し、カワイ楽器の創始者河合小市とともに1900年に最初のピアノを製作した。

1904年にはアメリカで開かれた万国博覧会でも名誉大賞を得た。ヤマハがこれほどの発展をしたのは、国産のアクションを初めて製作したり、ベヒシュタインから技術者であるエール・シュレーゲルを招いて技術の向上を進めるなど、徹底した努力があってこそだった。

その後恐慌や太平洋戦争などの危機が幾度となく起こったが、川上嘉市や川上源市がなんとか切り抜け、ヤマハを守り抜いた。

第2次世界大戦後はいち早く製造をオートメーション化し、1969年にはアメリカを抜き、世界最大のピアノ生産国となった。

山葉寅楠は、外国に頼らずに良い国際楽器を作る志を貫き、現在ではショパン国際コンクールでも使用される、世界最高のメーカーの1つとなっている。

◆ヤマハを選ぶアーティストたち

ヤマハの家庭用ピアノについては機械化や効率重視からあまり良くない評判も聞くが、性能に関しては実際のところはどうなのだろうか?

近年のピアノコンクールにおいてみてみるとショパン国際ピアノコンクールのファイナリストのピアノの選択肢にヤマハがあること、そしてチャイコフスキー国際コンクールではなんとファイナリストの半数近くがヤマハを選び、第11回、12回は優勝者の弾いたピアノがヤマハだったのである。

一般にヤマハの良いところは完成度の高さと言われている。

個体差が少なく間違いのないピアノと言えるのかもしれない。

晩年ヤマハを弾いていたグレン・グールドはその完成度の高さを「ヤマハはコンピューターに優るとも劣らないエレクトリックマシーンだ」と表現している。

コンクールだけでは完成度だけが高い、音楽的に魅力のないピアノと思われるかもしれないが、リヒテルグールド、最近ではピリスなどもヤマハで録音している。

これらのことからもヤマハは世界のピアノに追いついたと言えるのかもしれない。

◆ヤマハで録音されたCD紹介

冷戦時代、鉄のカーテンの向こうには凄いピアニストがいると伝説になったピアニストがスヴャトスラフ=リヒテルです。彼がヤマハと出会ったのは1970年の大阪公演で、その際にヤマハの技術者の献身的な努力と、ピアノの出来に満足したことからそれ以降ヤマハを使うようになったとされています。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集全巻

グレン=グールドはピアノ界でも異端中の異端で、コンサートや聴衆を完全に排除したピアニストとして知られています。しかし、彼のバッハの解釈は世界中に衝撃を与え、現在も多くのファンがいます。
そんなグールドは晩年、所有していたのはハンブルグ・スタインウェイでした。しかし晩年、修理不可能なほど壊れた際にヤマハと出会い、このCDを録音したと言われています。
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)
ハイドン 後期6大ソナタ集
ブラームス:4つのバラード、2つのラプソディ、間奏曲集



マリア・ジョアン・ピレシュ(マリア・ジョアン・ピリス、マリアジョアオ・ピリス)はポルトガル出身の女性ピアニストです。ベートーヴェン生誕200周年記念コンクールにて優勝、ケンプなどに師事しました。手の故障などを経て80年代から再び世界で活躍しています。
モーツァルト弾きとして有名な彼女ですが、他の作曲家の作品も多く、素晴らしい演奏を聞かせてくれます。このアルバムも含め、彼女は頻繁にヤマハを使用しているようです。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第13番、第14番、第30番