スタインウェイ(Steinway & Sons)

世界最高のピアノメーカーの1つであるスタインウェイピアノは、20世紀、世界最高のピアニスト達に愛されたピアノである。

◆スタインウェイの歴史

Steinway&Sons創始者ハインリッヒ・エンゲハルト・シュタインウェヒは、1796年ドイツに生まれた。

祖父が炭焼き職人、父親は林務官という木材に親しんだ家系であった。これが後々のヘンリーのピアノ製作に影響を及ぼしたといえるかもしれない。

彼はナポレオン戦争で孤児となり、さらに戦争末期のワーテルローの戦いに参加し、奇跡的に生き残った強運の持ち主だった。

その後家具職人として働きながら木材を勉強し、13年かけて自宅キッチンで1人でピアノを作った。

ここでも持ち前の強運のせいもあったのだろうか、そのピアノが評価され、彼の努力は実り、ここにスタインウェイが誕生したのである。

十分な成功を収めていたスタインウェイ一家だったが、1842年スタインウェイは、ヨーロッパ情勢を憂慮した息子のチャールズの説得で、新天地アメリカへと向かった。

移住したハインリッヒは、アメリカ風にヘンリーと名を改め、新しい生活を始める。しかし、最初から上手くいったわけではなかった。

ヘンリーは英語を話すことが出来ず、もちろん読み書きもできなかった。そこで、ピアノメーカーに就職し、持ち前の木材への知識から響板製作の部門で働いた。息子たちも様々な会社などで働きそれぞれに成果を挙げていき、1853年、家族を集めて実質スタインウェイ&サンズが誕生した。

steinway_pヘンリーはアメリカ中から木材を選び、厳しく指導し、アメリカでのスタインウェイは順調に発展していった。

このヘンリーの教えは現在も生きており、彼が息子達に厳格に教え込んだピアノ製作に関する考えこそがスタインウェイを世界一にしたともいえるだろう。

ところで、ヘンリーの長男テオドールは、一家がアメリカに移ってからもドイツに残り、楽器作りを続けていたが、アメリカで兄弟が死んでしまい、父親が落ち込んでいるのを聞くと、彼もまたグロトリアンに会社を売却してアメリカに移った。彼は大学で音響学を学んでおり、その知識を利用して、シンギングトーンと呼ばれる優雅で美しい音を作り上げた。

さらにヘンリーの4男ウィリアムは販売と経理を担当していたが、彼がスタインウェイ・ホールを建設したことも忘れてはならない。多くの有名ピアニストを出演させたことでスタインウェイの名声の向上に一役かったのである。

さらにウィリアムはピアノ業界で初めて広告を打ったことでも知られている。世界恐慌の際、スタインウェイを守ったのも彼だった。

彼らの成功はとどまることを知らずにヨーロッパに進出し、アメリカではスタインウェイの町も作った。

このようにスタインウェイは一族でそれぞれが最高の仕事をしながらヘンリーの完全主義を守り続け、「雷鳴からナイチンゲールの歌声まで」と言われる栄誉と、世界一の栄光をつかんだのである。

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◆スタインウェイのその後

第2次世界大戦を何とか乗り越えたスタインウェイだったが、1972年、スタインウェイ一族はCBSコロムビアグループに会社を売却した。

この頃からスタインウェイは商業主義に飲み込まれ、輝きを失ったとも書かれているのも目にすることがあるが、とにかくスタインウェイ一族の手から経営権は離れた。

さらにその後1985年ボストンの投資家グループがCBSからスタインウェイを買い取りスタインウェイ・ミュージカル・プロパティーズという会社になった。

さらに1994年、サックスやクラリネットで有名なセルマーをもつカイル・カークランド、デーナ・メッシーナがスタインウェイを買い取り、スタインウェイ・ミュージカル・インストゥルメンツ社を設立し、現在に至る。

◆スタインウェイの発明

スタインウェイは様々な特許を110以上も生み出した。木材にも力を入れたスタインウェイだが、それ以外にも彼らは改良を積み重ね、ピアノの発展に貢献した。

数ある特許の中で特筆すべきはまず、エラールのダブルエスケープメントを改良したアクションである。
エスケープメントは連打に非常に大きな影響を与え、演奏者の意を汲むことができるようになった。

また、弦を交差させるシステムで、もともとは小さいアップライトにのみ使われていたシステムをグランドに適用したのもスタインウェイの初めての試みだった。(ちなみにアップライトで初めて適用したのはフランスのピアノメーカーのパぺである。)これはスタインウェイシステムと呼ばれ、今や全てのピアノで使われている。

それ以外に、ブリュートナーのアリコットシステムとは仕組みが全く異なるが、アリコットシステムと呼ばれるピンと駒の間の弦の共鳴を利用して高音を響かせる仕組みがある。

◆スタインウェイアーティスト

スタインウェイをこよなく愛し、スタインウェイを広める手助けとなったアーティストのことをスタインウェイアーティストと呼ぶそうである。

スタインウェイアーティストはウィリアムが建設したスタインウェイホールから始まった。

その始まりは1872年アントン・ルービンシュタインで、その後、パデレフスキ、ホフマン、ラフマニノフなど多くのアーティストがスタインウェイを絶賛した。

彼らが世界中で活躍していくことでさらにスタインウェイの存在が世界に広まったのである。

スタインウェイはニューヨークとハンブルグで製造されており、アメリカのコンサートホールにはニューヨーク・スタインウェイが、ヨーロッパや日本のコンサートホールにはハンブルグ・スタインウェイが多く納入されている。
そのため、CDなどで演奏される場合特に何も書いていない場合はスタインウェイと考えて良いと考えられる。

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◆スタインウェイで録音されたCD・DVD紹介

スタインウェイアーティストのところでも説明しましたが、基本的に何も記載されていない場合はスタインウェイによる録音と考えられるのですが、その中でもウラディミール=ホロヴィッツは外せません。彼はピアノの魔術師と呼ばれ、新旧問わず、ピアニストに大きな影響を与えました。彼は自宅に1943年製スタインウェイを持って、生涯愛用していました。
1966年 カーネギー・ホール・コンサート
モスクワ・ライヴ1986
Horowitz in Moscow [DVD] [Import]



日本人だと内田光子もスタインウェイアーティストとしてスタインウェイのホームページで紹介されています。彼女はショパン国際ピアノコンクールで2位など、さまざまなコンクールで入賞した実績の持ち主で、モーツァルトに定評があります。現在もイギリス在住で活躍するピアニストです。
モーツァルト:ピアノソナタ第8番&第11番&第14番&15番
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&24番
シューベルト:即興曲集